C. P. スノー (1959) 『二つの文化と科学革命』

1)なぜ、『二つの文化と科学革命』を読んだのか?
 ”文系”と”理系”の対立を指摘する主張は枚挙に暇がない。そうした主張がこぞって引用しているのがスノーの『二つの文化と科学革命』である。

私はよく(伝統文化のレベルからいって)教育の高い人たちの会合に出席したが、彼らは科学者の無学について不信を表明することにたいへん趣味をもっていた。どうにもこらえきれなくなった私は、彼らのうち何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は「あなたはシェイクスピアのものを何か読んだことがあるか」というのと同等な科学上の質問をしたわけである。(p.16)

 お題目のように引用され、独り歩きしている一説だ。おそらく、多くの人はスノーについてこの一説しか知らないだろう。他の箇所を読んでいない人も多数いるはずだ。けれども、この一説がスノーの主張のすべてなのだろうか。スノーは何を思って”二つの文化”の断絶を憂いたのだろうか。ぼくらがこれから学際研究を進めるにあたって、「なぜ、学問の際に立たなければならないか?」を考えることを避けては通れない。
 あれこれ書いたけれど、まあ、要するに「”孫引き”でカッコ悪く学際を語るより、スノーを読んでカッコ良く学際を語ろう!」ということが、今回の趣旨である。

2)”二つの文化”と”科学革命”
 『二つの文化と科学革命』は、1959年にケンブリッジ大学で行われたリード講演がもとになっている。
 スノーをなるだけきちんと理解するために、”二つの文化”と”科学革命”という2つのキーワードの意味を理解しておく必要がある。
 スノーは、”科学革命”という言葉を、産業革命に次ぐ第2の生活の物質的な基盤の変化であるとしている。産業革命では発明家によるアイデアによって物質的な豊かさが生じたが、科学革命では、科学が発明家の代わりに機能することで物質的な豊かさが実現される。同じ”科学革命”という言葉ではあるが、クーンの科学哲学上の”科学革命”の用法とは意味合いが違っていることに注意したい。スノーによれば、エレクトロニクス、原子力工学、オートメーションなど、原子的な粒子が最初に工業化されだした時期(1910-20年代)が、”科学革命”の生じた時期であるという。ところでスノーは科学者時代、「原子物理学の父」とも呼ばれるアーネスト・ラザフォードの弟子であった。スノーが”科学”のなかでも特に原子的な粒子(原子や分子、電子など)に着目したのは、そういう背景があったのかもしれない。
 さて、問題の”二つの文化”である。wikipediaなんかには「タイトルにある「二つの文化」とは、現代において世界の問題の解決に貢献してきた“自然科学”と“人文科学”を指す」なんて書かれているけれど、スノーの主張を単なる学問分野間の対立と読んでしまっては面白みが半減してしまう。
 スノーの言う”二つの文化”とは、文学に造形の深い知識人と、科学者(特に物理学者)によってそれぞれ代表される。また、この”二つの文化”はそれぞれお互いに無理解で無価値だと考えている。文学的知識人は、伝統的な文化(文学、歴史etc…)こそが”文化”であるとする立場を取り、科学に対しては無理解であるという。一方、科学者は、「科学の力で人々の暮らしを豊かにしよう!」という未来志向な文化であり、文学的知識人の先見の明の無さを批判している。そして、スノーは科学者側の文化(科学革命の可能性)を明確に支持している。
 スノーが仮想敵としている文学的知識人についてもう少し見てみよう。スノーが本文中で名指しで批判する文学的知識人としては、ラスキン、モリス、ソロー、エマーソン、ローレンスなどが挙げられている。彼らに共通しているのは、産業革命に批判的な詩人、美術家、思想家であったという点だ。例えば、モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動は、伝統的な手工業に回帰することで、産業革命によって破壊された労働のやりがいや喜びを取り戻そうとするものであった。スノーは彼らを科学革命に反発する「生まれながらのラッダイト」であると呼んでいる。そうして、イギリス社会で大きな影響力を持つ「文学的知識人」が、科学/”科学革命”やその意義について無理解であることを批判している。

3)スノーの危機意識は何か?
 それでは、スノーがここまでして科学/”科学革命”の意義を訴えるのはなぜだろうか。
スノーが本書の元となるリード講演を行った1959年当時は、「アフリカの年」(1960年)の前年でもあり、アフリカ植民地の独立の機運が高まっている時期でもあった。そのような社会情勢のなかで、南北格差、世界的な貧困問題をどのように解決するかが重要な課題となっていた。スノーは、”科学革命”によって物質的な豊かさを実現することが、この問題を解決するために必要不可欠だと考えていた。
 では、世界的な”科学革命”を主導するのは誰なのか。当時の時代背景としてもう一つ見落とせない項目として、スプートニク・ショック(1957年)がある。ソ連による人工衛星打ち上げの成功は西側諸国の危機感を煽り、科学教育・研究の重要性が認識される契機となった。スノーもそのスプートニク・ショックに危機感を感じた一人であると考えられる。スノーは、1950年代後半当時ソ連が最も科学者の養成に成功しており、世界的な”科学革命”を主導しうる見込みが最も高いことを指摘している。裏返せば、西側諸国(特にイギリス)が、冷戦構造下での社会的影響力が失われてしまうことへの危機感はあると思われる。
 イギリスが”科学革命”を主導するためには何が足りなかったのか。スノーはイギリスの教育制度が過度に専門化していることが問題であると指摘している。そして、ソ連やアメリカが”科学革命”の伝導において一歩も二歩も先んじているのは、これらの国々が教育改革に熱心に取り組んだ成果であるという。つまるところ、スノーの『二つの文化と科学革命』は、学問分野間の対立を憂いていたというよりも、過度に専門分化したイギリスの教育制度の行く末(と、その結果として生じた、科学に無理解な文学的知識人層)を憂いている講演だといえる。

4)『二つの文化と科学革命』への批判:スノー=リーヴィス論争
 スノーの『二つの文化』講演は、全世界で賛否両論の嵐を巻き起こした。
 スノーのリード講演に対して最も厳しく反論した人物として、文芸批評家のF.R.リーヴィス(1895-1978)が挙げられる。リーヴィスは、文学のなかに人間的な価値を見出す一方で、科学を非人間的な営みとして位置づけている。そして、スノーに対して、確かに科学によって物質的に豊かになっても、精神的な豊かさ(道徳性)が喪われてしまうのではないかと批判している。ところで、スノーは『他人と同胞』(Strangers and Brothers)シリーズなどを執筆している小説家でもある。リーヴィスの上記の批判は言い換えれば「スノーとかいうやつは文学の何たるかを分かっていない!小説家を名乗るに値しない!」とでもなるだろうか。事実、リーヴィスによるスノー批判は相当程度、感情的なものだったらしい。
 当然と言うべきか、スノーとリーヴィスでは文学への好み・評価も大きく異なっている。
 T. S. エリオット(1988-1965)の代表作『荒地(The Waste Land)』は、古典文学からの引用が散りばめられるなど非常に難解なものであった。リーヴィスはそんなエリオットの作品を高く評価する一方で、スノーはエリオットを「科学を敵視する人物」の典型として名指しで批判している。他方、H.G.ウェルズ(1866-1946)へのリーヴィス評価は厳しい。リーヴィスはウェルズの小説への書評にて、その根底にある科学技術の発展による”豊かさ”を強く批判している。そして、スノーはそんなウェルズを「小説家らしくない」偉大な作家であるとして評価している。
 ウェルズ的な文学とエリオット的な文学のあいだには、英文学史上においても対称的な位置づけがなされているようだ。スノーとリーヴィスの論争は、”二つの文化”に対する見解の相違だけでなく、社会階級、伝統文化と大衆文化など、当時のイギリス社会をめぐる様々な対立の一側面であると考えられる。

5)”二つの文化”は、いかにして乗り越えられるか?
 それでは、スノーによって提起された”二つの文化”の問題は、その後いかにして乗り越えられようとしてきたのだろうか。また、”二つの文化”を越境する人材とは、どのような人々が考えられるのだろうか。
 スノー自身はその後の考察(1963年)にて、社会史・社会学・人口統計学・政治科学・経済学・行政学・心理学・医学・建築などの分野について、「人間はいかに生存するか、また生存してきたかを問題にし、伝説よりも事実に関わりを持つもの」として、第三の文化の萌芽となる可能性を見出している。
 スノーを受け、アメリカの科学ジャーナリストであるブロックマンは、自身のWebサイトにて”The Third Culture”という宣言を出している。ここでは、第三の文化の担い手として、科学者・経験主義的な思想家が挙げられている。伝統的な人文学的知識人が知識人層どうしでのコミュニケーションに終始しているのとは対称的に、第三の文化の担い手たちは、専門家でありながら(一般向けの著作によって)自ら積極的に一般の人々とコミュニケーションを取ることが求められている。この背景には、スノーが『二つの文化』講演を行ってから数十年のあいだに、科学技術がよりいっそう私たちの生活に浸透し、一般の人々の関心の対象になってきたことがあるだろう。今のぼくらの知を取り巻く環境を考えるにあたっては、知識がもはや一部の特権的な知識人層だけによるものではなく、広く一般の人々に共有の財産となっていることを忘れてはいけない。
 ところで、このActiiiのホームページの副題は”Voyage at an Academic Edge”だ。これは、”The Third Culture”のブロックマンが運営しているインターネット・マガジン”Edge”から拝借している。スノーやブロックマンの問題意識を受け継ぎつつ、ぼくらも”学問の際”に立つことの意味を考え続けていければと思う。

6)参考文献
・Brockman, J. 1991. ”The Third Culture” https://www.edge.org/conversation/the-emerging
・Snow, C. P. 1959. “The Two Cultures” Cambridge university press. Cambridge UK.(= 松井巻之助 訳. 2011. 『二つの文化と科学革命』みすず書房.)
・井川ちとせ. 2015. 「リアリズムとモダニズム:英文学の単線的発展史を脱文脈化する」『一橋社会科学』, 7(別冊), 61-95.
・河野真太郎. 2013.『<田舎と都会>の系譜学 二〇世紀イギリスと「文化」の地図』ミネルヴァ書房.
・佐倉統. 2002. 『進化論という考えかた』講談社現代新書.